それはあなたの夢でもある

noteに書くほどにはまとまっていないことを

だけど大切なことをここにかいてる。


久しぶりにろうそくをつけた深夜、

パナソニックのスチームアイロン、

どれを買うかを迷ってる。


忘れないようにこの1年の事を書いておこうと思う、

もっとよく言うとこの2年、この5年かな。


今の会社に入社して、

ギリギリの時限爆弾をパスされるような感覚で仕事を振られたり、業務とは関係ない所での煩わしさを感じたり、はたまた世界で活躍する素晴らしい方々に出会ったり、新しいことにチャレンジしたり、

あっという間に時間が経っていった。


新卒すぐの会社に入ったとき、

私は生活をある程度捨てようと思った。

実家暮らしの自分にはそれができる環境だったし、

そのくらいの思いきりというか、

ゼロヒャクの考え方の方が仕事に集中できると思ったからだ。


だけど、転職して初めてちゃんと

仕事は人生の一部で全てにはなり得ないんだと実感をもって知った。

そして労働時間自体はザクッと減ったので、生活にゆとりと余裕ができ、それをわたしは「暇」とも感じるようになった。それが、ずっと夢に見てた一人暮らしをするきっかけになった。


一人暮らしにしてはわりかし広めのこのお部屋、

本当は来年の春からは、

ここで一緒に過ごしたいと思っていた人がいた。

だから、新しいローテーブルもソファも買わずにいたんだけど、その予定は自分で自ら絶ってしまった。

この部屋に遊びにきた友だちが「これなあに?」と聞くものは、大体その人との思い出がぎゅっと詰まっているもので、不思議だなと思う。切り離せない記憶が永遠に、ここにいる限り存在し続けるんだ。悲しくはないし、切なくもないんだけど、こうして言葉にするとちょっと涙が出る。


自分で生活のサイクルを回しながら仕事をするのは、最初は大変だった気がするんだけどもう覚えてない。色んなことに慣れて楽になった。

わたしはきっと難なく一人暮らしできるんだろうなって思ってて、実際にその通りで安心した。


そんな頃からだろうか、

自分がこの先どうしたいのか、どうできるのか考えるようになって、でも全然わからなかった。

時間をかけて考えていこうと思ったら1年が経ってた。その間に仕事に手が抜けるようになったのに、給料が上がって、そうしたらしばらくはこれでいいのかもしれない、だってお金も貯まるし、とか思うようにもなった。でもやっぱりもやもやした。


そして、自分の頭の中では処理しきれないストレスが蓄積されていることに気づいた。

私は仕事とか、自分が責任の一端を担っている環境であれば、言いたいことや自分の考えは言いたいタイプで、だって、そうじゃないと自分の行動に責任が持てないから、でもそれがあまり望まれていなかった。ならしょうがない、ニコニコ丁寧に柔らかくふるまってればそれでいいんなら、そうするよ、嫌な顔しないで引き受けられるもん、そう思ってた事が意外にもストレスだったみたい。


給料が上がってお金が増えたのは良く思ったけど、

でも、評価基準がわからなくて、

逆になぜか納得できなかった、

バカだなと思った、自分のことを、

お金は本当に本当に大切だけど、

対価の全てがお金になることはない、

お金でその仕事の価値が決まるわけじゃないんだってこの1年ですごく感じた。

その時その場所の価値観、規範の中で

給料や社会的ステータスが決まるなんてデタラメだ

何をどのくらいやってどう結果を出しているか

そんな事よりも

どこにいるのか

それだけが重要だったりする。

本当バカみたい。

そんな世界の中で私は一喜一憂なんかしたくないし、そこで勝ち誇っていたくもない、

自分が1番大切だと思えるものを大切に大事にして自分という人間をもっと良くしたいし、好きになりたい。自分が悔しくて納得できないと感じる世界から、一線を画した世界に行きたい、世界で生きたい。


話がそれちゃったけど、

自分のストレス、コンプレックスと向き合ったり

自分の既成概念や偏見を取っ払って考えたり

そうする事で

私は自分が自分で納得できる人生を送れるか、そのためにどれだけ努力できるか、

そう言う事をすごく大切に思うんだなと気づいた。


私が仕事を好きで頑張りたいのは、

仕事にたくさん救われてきたからだと思う、

そして単純に誰かと共同して何かを世界に生み出していくことはすごく楽しい。仕事だからこその集中力や本気を、それらが創り出すものを信じてる。


ずっとずっとずっとずっと

自分に自信がなくて、ストレス耐性もなくて、

生きていくのがすごくこわかった。

でも、出来ることがひとつずつ増えていくたびに自信になった。


私はどんな状況でも自分で考えてゴールに向かって走る力があるんだなって気づけたから安心した。


この年になってようやく自分のことを認めて愛せるようになった気がする。


もちろんこれは自分だけの力ではなくて、

私に関わってくれた人のおかげで、

私のことや私のつくる何かを好きでいてくれた人、それを伝えてくれた人がいて、それでようやく自分を信じてみようかなと思えるようになった。


このまま自分に自信持てないままかも、

って思ってたりもしたから本当によかった。

2021年、1番嬉しかったのはこのことかな。


同時に今年は、信じていた人を信じられなくなるというとても悲しいこともあったけど、

でもそれはたくさん泣いたからもういい。

それにだからこそ踏ん切りがついたし、新しい縁もあった。


これからどうしたいか、

を考え続けているうちに、自分の中でこんな変化があって、さらに一見矛盾しているけど、ストレスが限界を迎えたようで(その時は気づかなかった)仕事を休むことにした。


これは本当に突然の出来事で、

休もうかな、から、休むまで、2〜3日もなかったと思う。本当に急な話で自分も驚いたし、周りの人も驚かせたし迷惑をかけてしまった。


でも、この空白の期間のおかげで

色んなことを整理して、時々不安に駆られつつも考え抜き、自分の将来の目標が見つかった、見つかったというより、気づいたという方が近いかもしれない。


この5年間、私の中にあり続けたのは、

モノづくりの仕事がしたいという思いと

やりたいことを仕事にしたいという思いだった。


その2つの気持ちに忠実に嘘偽りなく考えたとき、

私はやっぱり実制作者になりたいと思ったし、

デザインに挑戦してみたいと思った。


とはいえ、スクールで数ヶ月でデザイナーに、みたいな広告を微塵も信じれないくらいには、制作の現場でプロフェッショナルの人たちをたくさん見てきたから、自分なりに色々調べた。


まずは自分のこれまでの経験を活かして、

ディレクターとして勤務したのち、デザイナーにジョブチェンジさせてもらえる会社を探すことに決めた。


私はグラフィック全般のデザインに興味があるんだけど、そこは流石に一筋縄ではいかないと思ってるので、


ディレクター→WEBデザイナー→グラフィックデザイナー


というキャリアを自分の人生を懸けて目指していきたいと思っている。


WEB業界を選んだのは、

単純に興味があったのと、多分この業界の考え方やスピード感と価値観が合うと思ったのと、あとデザインの部門の中では1番間口が広いと思ったから。


そうして片っ端から、業界のホームページを見ていった。けどやっぱりそうそうジョブチェンOKなところなんて見つからない。未経験でデザイナーで雇ってくれる会社のホームページはデザイン性に欠けるなと、すみません、個人的には思いまして、そして給料が新卒並に低い。(これでどうやって東京で暮らせるのだろう??)


だからすごーく迷った。

デザイナーになりたいって志望動機に書くか書かないか。ディレクターとしてなら受かるだろうなくらいの自信はあって(そんな自分になれたことが嬉しい)、でもデザイナーになるって、未経験って、私の市場価値全然ないじゃないか……。でも言うことにした。言わなかった会社もあったけど。

デザイナーになりたいって書いたから落ちたんじゃないかな?ってところもあったけど、

でも最終的には凄く信頼できると思えて、クリエイティブディレクターって、クリエイティブディレクションってそう言うことですよね(尊敬)って思える人がいる会社に内定をもらえて、ようやくここからスタートできそうな、そんな感じがしている。


といいつつも、自分の生活をうまくコントロール出来ずに、そしてどんな風に勉強していくかをまだ確立できずに、モヤモヤしながら日々過ぎ去っていく……


計算ドリルみたいに、これをやる!!ってのが分かるやつなら得意なんだけど、暗中模索な感じで自分の勉強スタイルを確立してくのは得意でない。でもやる。成せばなる。七転び八起き。起き上がり続ければ勝つ。あとは単純にいま使ってるPCが3つあって一元管理できてないのがダメだよね😂せめて2つで整えよう😂


年末年始までは

ラジオとオンラインのバイトと入社前の事前課題とあと自分でデザインの勉強とamoの活動頑張ろうと思うけど、(順不同)

普通に意外とやること多いな、ニート同然のくせに。


そして実家に帰るか引っ越すかこのままここで暮らすか、その答えもまだ見つかってないけど


それでも時間は過ぎ去っていくから

焦らず弛まず


焦るけど、続けていくことが何よりも大事